12月18日、築地御前霊社において、「生木焚き神事」が行われた。
猫尾城主黒木大蔵大輔源助能(みなもとのすけよし)は、文治2年(1186)大番役となり京都御所の警備につく。音楽好きの後白河上皇は管弦楽の会を催され、その時助能は笛の役を務めた。上手に吹き、管弦楽の中心となったためおほめになり、その賞として「調」の姓と女官の待宵小侍従をいただいた。
助能は3年の勤めを終え、待宵小侍従とその子黒木四郎を伴って帰国の途についた。夫君助能の帰国を待っていた正妻の春日局は、待宵小侍従と黒木四郎の入城を嫌い、数々の恨み言を書置き、乳母の紅梅、女房頭の濃君、側近の女たち13人とともに矢部川の淵に身を投じた。そして、淵より20町(2,200m)川下、築地の瀬に打ち上げられた。村人はこれを抱き上げ大木の枝を切り、焚き冷えた体を温めたが、生きかえることはなかった。
助能と村人はこの築地の地に社を建て、春日局、紅梅、濃君の三躰を神として祀った。それ以後、築地御前霊社で、毎年12月18日に生木を焚いて氏神と水神に感謝する「生木焚き神事」が行われている。
矢部川の剣ケ淵にたたずむ象岩
約800年前、春日局、紅梅、濃君らがこの淵に身を投じた時の目撃者かもしれない。
2013年12月19日
生木焚き神事
posted by 事務局 at 10:08| Comment(0)
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